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螳螂(カマキリ)。。。

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息が白くなるくらいの寒い朝、弓道場のすり硝子に、朝日に照らされた逆さのカマキリの姿が見えました。
彼女(多分、産卵の後の雌だと思った)は死んでしまったかのように全く動かなくて、ゆっくりと氷が朝日で溶けていくように、日のぬくもりを楽しんでるように思えました。

数日後、ちょうどそのすり硝子の窓の下に、褐色のカマキリが1匹落ちていました。
今度は、本当に動かずに死んでいました。

カマキリは越冬しないといいます。
彼女(勝手に彼女だと決め付けていますが)の屍(しかばね)は、どことなく高貴に見えました。

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テーマ : ある日の風景や景色
ジャンル : 写真

Tag:虫たち  Trackback:0 comment:8 

神域にて。。。

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弓道の初段審査まで、とうとう後1週間。。。
先日、審査会場である明治神宮の弓道場を借りて、今回、審査を受ける人たちと下見練習をしてきました。
明治神宮の由緒ある道場はとても大きくて、雰囲気も違います。。。

あとは、当日、伸び伸びと自分の射を審査員の前で披露するだけです!

あ!でも、筆記試験の勉強はこれから必死にやらなくちゃー!!!

追記:ちなみに、この写真に映っている人はわたしの同期生さんです。

テーマ : 今日の独り言
ジャンル : 写真

Tag:弓  Trackback:0 comment:6 

わたしの青春。。。

わたしの母校が取り壊されることとなり、「学びの舎 お別れ会」という大きな同窓会がありました。
それに参加してきたので、久しぶりにブログの更新。。。

わたしは以前、医療の専門家をしていたのですが(今は全く違う職種についています)、かつてはその専門職の不足が問題となっていて、国が専門家育成のために設立した養成校が全国で9つくらいありました。

通常、医学、医療系の学校の学費はとても高いのですが、国立だったのでとても学費が安く、寮もあり、わたしの母校は都心からも比較的ちかくてバイトもOKだったため、全国から学生が集まっていました。

定員はたったの20名で、当時は狭き門。。。
浪人して猛勉強して、やっとわたしは箱根の山のふもとにある学校に行くことになったのでした。。。
晴れて国家資格にも合格し、専門家としてわたしがバリバリ働いていた頃には、民間の学校がタケノコのごとく設立されるようになり、国の役目は終わったと養成校を閉校するという方針をたて、わたしの母校も2003年に閉校してしまったのです。

閉校になったものの学校と学校の前にある小さな寮は、この間、存続していたのですが、その校舎がとうとう取り壊されるということになり、今回、学校の1期生から最後の20期生までの合同同窓会が箱根のホテルで行われました。

ここで過ごした期間は、わたしにとってはまさに青春時代。。。

と、いっても、たいていこの養成校は国の古い傷痍軍人施設だったり、療養所だった場所がほとんどなので、都会の真ん中にあるような環境とは逆の、辺鄙な山の中での青春時代といえます。

わたしの母校は小田原から箱根登山鉄道の途中の駅で降りたところにあり、生徒の通称は「自然児」と呼ばれていました。

寮から歩いて20分のところに海があり、校舎からはキラキラひかる相模湾がよく見えました。
寮の脇には川が流れ、夏になると真っ暗な敷地にホタルが飛びかう。。。
秋になると学院と寮の前の銀杏の大木が黄金に輝き、裏山のみかん畑がきれいなオレンジ色に染まりだします。。。
屋上に寝っころがってはよく満点の星を見ながら友と語り合った。
冬には野猿が頻繁に寮や学校周辺に現れ、学生たちは、ちゃんちゃんこを着て授業に参加。。。

月曜から土曜まで朝から夕方までびっちり授業があって、課題の提出に夜遅くまで学校に残ったり、その合間に地元の飲食店や温泉街、かまぼこ工場にバイトに行く学生たち。。。
生理学実習の合宿では、順番に実験動物の世話をするのだけど、エサをやるときに大量のカエルが逃げてしまい、みんなで逃げたカエルの捕獲をしたこともあったっけ。。。

親元から離れてはじめて寮生活をする未熟な学生たちにとって、ここでの人間関係はとても濃厚で、家族以外の人間と、「支えあう」ということをはじめてここで習いました。

学生たちは四六時中、顔をつき合わせ、プライバシーのない空間で過ごしているのでストレスがたまります。
うっとうしいと思う反面、でも困ったときはやはり一番に仲間が支えてくれました。

将来の夢や恋愛、自分たちのことを語り合い、よく泣いて、笑って、怒って。。。

学校の講師たちも、医療のなかで活躍しているドクターや心理学者がいるかと思うと、箱根寄木細工の伝統工芸師の称号を受けた木工の先生や、箱根の山の中の自宅で焼き物を焼いている陶芸家の先生など、のその道のプロである職人の先生がいたり、とても個性豊かな先生たちがいました。
学校の授業以外の時間にも、自宅に招待してくれたり、寮で一緒に飲み会につきあってくれたりとよく面倒をみてくれました。

裏の病院には長期に入院されている車椅子の患者さんに、歴代、学生がボランティアで買い物にいったり、旅行に一緒にいったりしたのですが、患者さんたちもわたしたち学生を可愛がってくれて、これから専門家を目指そうという若者たちに、悲喜こもごもいろいろなことを教えてくれました。

地元の飲食店や温泉街の人たちも、わたしたち学校の生徒を積極的にバイトに雇ってくれて、先生がそのお店にいったりすると、「うちにバイトしてるこはいい子だから単位落とさないでやってね」と口添えしてくれたり、お店の残り物のおかずを寮生用に大きなタッパにたくさんもたせてくれたり。。。
商店の名物おばあちゃんが作った3つで100円のコロッケは、学生のご馳走だった。


懐かしい場所、懐かしい顔を前にしていると、あとから、あとから、あの頃過ごした青春の日々が思い出されます。。。

宴の最後に来賓の先生が挨拶をしてくれました。
その前にわたしがある教官に挨拶に行ったとき、大変懐かしがってくれて、今は専門家をしていないと告げたわたしに「そんなのいいじゃない。(負い目を感じる必要はない)」と言ってくれました。

その教官がくれたことば。。。

先日、自分の担当の患者さんが二人亡くなった。
その人たちが常々言っていたのは、箱根の学生と一緒にいった旅行の思い出は、とても楽しかったと。
学校がなくなってしまって寂しいと。

今、その教官は時々大学でやはり生徒を教えたりしているそうなのだけど、「君たち箱根の学生は本当に優秀だった。熱意や情熱、真面目さがあった。亡くなった患者さんが常々いっていた旅行の楽しかった思い出は、専門家でも教官でもできないことを君たちはやっていました。患者さんは亡くなったけど、その想いは永遠に魂に残っています。学校はなくなり、校舎も取り壊されてしまうけど、君たちはそんな学生だったということを誇りに思って忘れないで欲しい。。。」とおっしゃってくれた。

このことばをきいて、ちょっと泣いてしまった。

わたしはもうその専門家をしていないけれど、あの頃は、本当に情熱があって、目的意識をもってがんばっていた自分がいた。

その情熱はなくなり、もう、この専門家の仕事が本当に辛くて嫌になって辞めてしまい、かつての級友とも疎遠になり、この同窓会に参加すること自体ためらっていた。
でも、かつてのあの頃、わたしは将来を目ざして特殊な学校にいき、そこで情熱を燃やして過ごした時期が確かにあったんだ。。。
あの頃過ごした時間は、教官がいうようにわたしのなかに残っていて、今のわたしの一部になっている。
今の仕事には情熱はないし、淡々と現実を生きるために目の前のことをしているだけだけど、自分らしくいられて、今の自分に合っている。
それでいいんだ。。。

と、なにかがストンと胸に落ちた気がした。

帰り際、たくさんの写真の束から「こんなのが残っていてね」と、かつで寮で同室だった友達がわたしに写真を1枚くれた。

生理学実習室で、ちょっとオカルトチックな人体解剖模型の人形のよこで、白衣を着た20代のわたしがそこに笑っていた。
テーマ : こんなことがありました
ジャンル : ブログ

Tag:雑記  Trackback:0 comment:10 

プロフィール

tama☆彡

Author:tama☆彡
コンデジ写真が趣味ではじめたブログでしたが、父のフィルムカメラにはまり、次に、あらたにはじめた弓道のほうがおもしろくなり、写真の趣味は低迷中。。。
雑多なエッセイブログになりつつあります。。。



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